特別講演

特別講演1

7月29日(金)15:50~16:50(予定)
玄侑 宗久 (げんゆう・そうきゅう)先生

心のレジリエンス

この国の諺(ことわざ)を眺めると、対立する意味合いの諺が必ずと言っていいほどあることに気づく。たとえば「善は急げ」と「急がば廻れ」、「嘘も方便」と「嘘つきは泥棒の始まり」、「一石二鳥」と「虻蜂取らず」、「大は小を兼ねる」と「山椒は小粒でピリリと辛い」、「栴檀は双葉よりも芳し」と「大器晩成」など、キリがないからこの辺にしておくが、要するに古人は我々に両極端の考え方を両方踏まえたうえで、現実的な判断は直観で決めよ、と教えているかに思える。

これは正に仏教の「中道」で、儒教の「中庸」とは全く違う。「中庸」はとにかく極端に近づかないこと。一方の「中道」は両極端を知ったうえでないと歩めない道だ。両極端の双方を肯定する考え方は「両行」といい、中国の思想書『荘子』に由来するが、禅は大いにこの考え方を取り込み、二元論を超えようとした。日本人の寛容さにも、そして心のレジリエンスにも、両行は深く関係しているような気がする。 『菊と刀』を書いたルース・ベネディクトには矛盾としか見えなかったようだが、私はこの「両行」にこそ日本人独特の特長が秘められているように思う。

ただ、両極端の間のどこに着地すべきかを、日本人は「直観」で決める。そのため直観を磨く多くの「芸道」が発達したわけだが、これが欠けると単に「優柔不断」に終わってしまう。決めかねて身が痩せそうな状態を「やさし」と表現したが、「やさし」いだけではレジリエンスにもならない。

直観の磨き方も含め、日本人独特の心のレジリエンスについて考えてみたい。

プロフィール

玄侑 宗久 (げんゆう・そうきゅう)

1956年福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒。さまざまな職業を体験し、その後京都天龍寺専門道場へ入門。
2001年「中陰の花」で芥川賞、2014年「光の山」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。現在は臨済宗福聚寺住職。花園大学仏教学科および新潟薬科大学応用生命科学部の客員教授。
2011年に起きた東日本大震災後は政府の復興構想会議委員を務め、福島県の子供若者のための「たまきはる福島基金」理事長も務めた。
多くの小説作品のほか、『現代語訳 般若心経』『禅的生活』(ちくま新書)『「いのち」のままに』(徳間書店)『荘子と遊ぶ~禅的思考の源流へ』(ちくま文庫)など仏教や禅・瞑想にまつわる著書も多い。

公式サイト:http://genyu-sokyu.com
またYouTube「三春の風」も昨秋から開始。